大沼湖畔に位置する駒ヶ岳神社。社の隣には噴火で出来たと言われる大岩がある。
2012年6月2日訪問。
社のすぐ隣には大きな岩。
駒ヶ岳神社の由来
秀峰駒ヶ岳は、寛永17年6月の大噴火以来、度々の噴火により周辺地域に大きな被害を与えました。大正3年、大沼保勝会、その他の有志により、山の神奉納奉仕会を組織し、噴火口の断崖に石室を造り、鉄の扉をつけ総山の鎮守として大山祇神を祀り、石室には御神体偶像を安置せず、奉幣及び剣、勾玉、鏡を納め、同年9月11日大沼村民多数により奉安祭典が行われたのが、駒ヶ岳神社の始まりとされ、その時同時に戦勝の祈念もあり「雲外の神山に皇軍の大勝を祈る」とあります。その後昭和4年6月の大噴火により山容が大きく変わり、当時富士山のコニーデ形をしていたものが、その大部分が欠け、一部は剣ヶ峰(海抜1,131m)として残り、鋭く天をつく特異な山容を作り、その下に馬の背、向かいに砂原岳が形成され現在の形となっております。
その後大沼周辺も大きく変わり、湖畔一周道路の整備などにより周遊の観光客も著しく増加したことにより、昭和48年、当時の観光協会の有志により現在地に移されました。以来、登山の出発点にも当たるこの神社で、春の開山祭、秋の閉山祭を行い、駒ヶ岳の平穏無事、登山者及び観光客の安全、並びに地域の発展、世界の平和を祈願しております。
隣の大岩は全国的にも珍しい溶岩噴出によって落下した石及び火山灰のガラス状が溶け合って出来た溶結凝灰石で寛永17年の大爆発によって出来たものと言われております。この大岩周辺も大沼公園の有志の手により整備され、中央部の洞窟内にも出入りが出来るようになりました。通り抜けたところには、ザリ蟹の生息に適した湧水があり、古来から長寿の霊水として珍重され、登山者の渇きを癒していたものであります。又、この洞窟を通り抜ける事により難関突破の意味あいから、登山の安全を願う人、安産を願う人、家内安全を願う人の祈願の対象としても利用されております。
駒ヶ岳噴火の歴史
寛永17年(1640年)大噴火 くずれた山頂が噴火湾になだれ込んで、津波発生。約700人死亡。松前迄降灰。
元禄7年(1694年)大噴火
明和2年(1765年)小噴火
天明4年(1784年)小噴火
安政3年(1856年)大噴火 山頂に安政火口(直径200m)が出来る。降石で2名、高温の流石により20名死亡。
明治21年(1888年)小噴火
明治38年(1905年)小噴火 雨による泥流が畑を襲う。
大正8年(1919年)小噴火
昭和4年(1929年)大噴火 駒ヶ岳周辺の村落に大きな被害。2名死亡。
昭和12年(1937年)小噴火
昭和17年(1942年)中噴火
平成8年(1996年)小噴火 3月5日午後5時頃水蒸気爆発。東大沼一帯に降灰。
製作日 平成4年8月吉日
製作協力者 掘 義蔵 その他有志一同
七飯町商工観光課
大沼観光協会