対鷗荘一覧

対鷗荘跡

白鬚橋を渡ってすぐ台東区側に建てられているのが対鷗荘跡の説明板。

その横には、病に倒れた三条実美のもとを明治天皇が訪れたことを顕彰する碑が建てられている。

 

対鷗荘跡

2011年11月13日撮影。対鷗荘跡の碑。

 

顕彰碑

2011年11月13日撮影。明治天皇が対鷗荘の実美を訪れたことを記念する碑。

台東区教育委員会の説明は以下のとおり。

 

対鷗荘跡(たいおうそうあと)

台東区橋場2丁目1番

隅田川畔の橋場一帯は、風光明媚な地であり、かつては著名人の屋敷が軒を連ねていたという。対鷗荘もその一つで、明治時代の政治家三条実美(1837〜91)の別邸であった。

「征韓論」をめぐって、政府内に対立が続いていた明治6年(1873)の10月、太政大臣の要職にあった実美は心労のあまり病に倒れ、この別邸で静養していたが、同年12月19日明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪ねている。

隣の碑は、この事跡を顕彰して、のち対鷗荘の所有者となった一市民の尽力によって建立されたものである。高さ3メートル余。側面に「昭和六年歳次辛未五月建之石井久太郎」、裏面に「多摩聖蹟記念館顧問中島利一郎謹撰 上条修徳謹書」の碑文が刻まれている。

対鷗荘は、昭和3年(1928)、白鬚橋架橋工事に伴い、多摩聖蹟記念館(多摩市連光寺)に移築された。

平成7年3月

台東区教育委員会

 


白鬚橋下

白鬚橋近辺は墨田区、江東区、荒川区が交差する珍しいスポットである。

向島側から橋を渡ったところに、対鷗荘と呼ばれた三条実美の別邸があったとのこと。

また、橋が架かるまでこの辺りで活躍した渡しは「白鬚の渡し」又は「隅田川の渡し」として、有名だったようだ。

 

白鬚橋下

2011年11月13日撮影。荒川区教育委員会の解説は以下のとおり。

 

対鷗荘(たいおうそう)跡

対鷗荘は白鬚橋西詰の地に明治6年(1873)、明治の元勲三条実美の別邸として建築された。

   いそがしき つとめのひまを

   ぬすみ来て 橋場の里の

   月をみるかな

三条実美が京都風の優雅さをこの地に求め、橋場の地を愛して詠んだ歌である。

橋場の地はその歴史も古く、明治初年にいたるまで、閑静な土地であった。この河岸から見渡す向島一帯は、うっそうとした樹木の前面に土手の桜並木が見えて、情緒豊かな風景を楽しむことができたのである。

荒川区教育委員会

 

 

これより東へ約20メートル

橋場の渡し

対岸の墨田区寺島とを結ぶ、約160メートルの渡しで、「白鬚の渡し」ともいわれていた。

『江戸名所図会』によると、古くは「隅田川の渡し」と呼ばれ、『伊勢物語』の在原業平が渡河した渡しであるとしている。しかし、渡しの位置は、幾度か移動したらしく、はっきりしていない。

大正3年(1914)に白鬚木橋が架けられるまで、多くの人々に利用された。

荒川区教育委員会

 

 


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