木古内町一覧

木古内町幸連5遺跡で人の顔が描かれた縄文時代中期後半(約4300年前)の石製品出土

三角形の板状の石に目や眉などが黒色の顔料で描かれている。縄文時代の顔の絵は極めて珍しく、顔料で描かれ、また石製品に描かれている絵が見つかったのは全国で初めて。(北海道新聞)

素人の私には、顔と言われれば顔のような…といったレベルで恐縮ですが、きっと顔なんでしょうね。週刊少年ジャンプのロゴのような。

土器ではなく石製品、というのも珍しいかと。

縄文期石製品に「人の顔」 木古内・幸連5遺跡で国内初出土:どうしん電子版(北海道新聞)

4300年前の人の顔が描かれた石製品出土 全国初 北海道・木古内町


チューリップ

チューリップ@サラキ岬

チューリップ@サラキ岬

サラキ岬のチューリップを毎年楽しみにしております。天候はよくありませんでしたが、今年も綺麗な花を楽しむことができました。チューリップと言えば財津和夫さんでして、6月26日(金)北斗市総合文化センターかなで〜るにてコンサートがございます。小生(本当はオフコース派ですが)楽しみにしております。

 

 


人気の駅「あまのがわ駅」

あまのがわ駅

 

木古内駅改札口前に設置されている旧江差線各駅の紹介ボード。知らなかった駅がたくさん掲載されており、とても興味深かったのですが、そのなかでも特に気になったのが、この「幻の秘境駅 あまのがわ駅」。

「周りに何もない為人気はないが(中略)「秘境駅」としてとても人気アリ!!」

果たして、「人気」は、あるのか、ないのか。

気になって特急スーパー白鳥に乗り遅れる客が生じないことを心より祈念する次第であります。


木古内駅

海峡線の始発駅、木古内駅。北海道新幹線開業に向け、道路拡幅、駐車場整備等の駅前周辺整備が進む。観光案内施設も駅前に整備される予定で、駅周辺を核とした、あらたなにぎわいが期待されている。

木古内町は、サラキ岬のチューリップや薬師山の芝桜など、花の魅力も楽しめるまち。マスコットのキーコくんも積極的にPR活動を行うなど、ここ最近の情報発信力が凄い。

 

 


サラキ岬

今年もチューリップ畑を拝見すべく訪問したサラキ岬。天候は良好とは言い難かったものの、鮮やかな原色の花を満喫できた。

 

2012年5月12日撮影。

サラキ岬

風にたなびく鯉のぼり。

サラキ岬

サラキ岬

鮮やかな花壇。

サラキ岬

サラキ岬

咸臨丸のレプリカ。

サラキ岬

 

地図:GoogleMap


木古内町の薬師山

木古内町の薬師山。芝桜の季節には山肌一面が鮮やかな色に染まる。

 

薬師山

2007年6月2日撮影。

 

薬師山

2007年6月2日撮影。木古内町を一望できる。

 

薬師山

2007年6月2日撮影。

観光協会設置の説明板の内容は次のとおり。

 

薬師山(やくしやま)

天保12年(1841)ころのある日、村に住んでいた眼の見えない老人がこんこんと湧き出す泉の夢を見ました。

この話を聞いた友人は翌日、老人をつれて以前から聞いていた大平の湯の沢の山奥に分け入り、清水の湧いている所を見つけました。老人は早速清水で幾度となく眼を洗い、数か月も続けると元のように回復したという。

老人は、清水の湧いている夢をみせてくれたのは、日頃から信仰している仏様のおかげだと心から感謝し、病気で苦しむ村人たちのために、薬師如来石像を造りお祀りした。

薬師山の名前も、薬師如来像をお祀りしたことから付けられたものといわれています。

平成13年11月

木古内町観光協会

 

 

薬師山 三十三観音

三十三体の観音像は昭和9年、願應寺六世天山良祐大和尚の発願により、木古内町内外に住む信仰深い多くの人達によって薬師山に安置されました。

観音さまの札掛けは、遠隔の本州、四国八十八か所、西国三十三か所等に行けない人々が霊場薬師山に登り、三十三の札掛けを行うことによって、本州の霊場に行ったと同じ霊験があると言い伝えられています。

三十三番目の観音像は願應寺境内にあります。

平成13年11月

木古内町観光協会

 


サラキ岬と咸臨丸

木古内町釜谷駅と泉沢駅との間にあるサラキ岬。

春にはチューリップ畑が見頃となる。

日本初の軍艦として知られる咸臨丸が座礁沈没したのが、ここサラキ岬とのこと。

 

サラキ岬

2007年5月5日撮影。サラキ岬から木古内町泉沢方面を望む海岸線。

 

 

サラキ岬

2007年5月5日撮影。チューリップ畑。満開時にはとても美しい。

 

 

サラキ岬咸臨丸モニュメント

2007年5月5日撮影。咸臨丸のモニュメント。

 

 

サラキ岬

2007年5月5日撮影。咸臨丸終焉の碑。

 

木古内町観光協会設置の説明板の内容は以下のとおり。

 

サラキ岬に蘇る咸臨丸

咸臨丸は1857年、オランダで建造された日本初の軍艦であり、幕末の怒濤の中、1860年初の太平洋横断の快挙をなし遂げ日本近代化の一役を担いました。晩年は数奇な運命をたどり、蝦夷地開拓移民を乗せた咸臨丸は、1871年ここサラキ岬で座礁沈没し、栄光と悲劇の幕を閉じました。

このモニュメントは郷土の歴史遺産である咸臨丸の栄光の歴史を後世に伝えようとする町内外の人々の熱き思いによって製作されました。

平成19年5月20日

咸臨丸とサラキ岬に夢みる会・木古内町観光協会

 


佐女川神社とみそぎ事始め

2006年に訪問した木古内町佐女川神社の鳥居。道南を代表する行事の一つである寒中みそぎが行われる場所であり、碑には神社の由来のほか、みそぎの由来についても記載されている。

 

佐女川神社とみそぎ事始め

2006年4月23日撮影。由来を記す碑の内容は以下のとおり。

 

佐女川神社の由来

佐女川神社は松前藩地頭河野加賀守源景広ご勧請により当時1624年寛永2年に鮫川の辺りに祠を建てられ武運長久を祈願されたと伝えられている。又ご勧請の神様は日本の初代天皇である神武天皇の母上様であり玉依姫の命と申すお方様であります。

 

佐女川神社みそぎ事始め

古老の言によると天保2年(1831年)神社守の夢枕に「御神体を潔めよ」とのお告げがあり目をさますと寒気肌さす1月15日の早朝であった。

神社守は直ちに真下の小川の氷を打砕き身を切るような冷水で自身を清め御神体を抱いて海岸に臨むと川口に大鮫が波に打たれその背中の上に美しい白衣をまとった女性の姿が見られた。あヽ聖なる神の使者と信じ御神体を幾度となく沐浴し、ふと見ると女性の姿は見えず大鮫は川の上流へ上り小さな沼に姿を消されたという。その沼は佐女沼といわれ、今でも尚お住みになっており、その年から豊漁豊作が続き村は大変潤ったと言われている。又安産、交通安全の守護神としてあがめられております。それからみそぎの伝統行事として毎年1月15日に執り行われており穢れない優秀な4人の青年がみそぎのご神体、別当、稲荷、山の神、弁財天の4体を潔められております。

1月13日になると夜6時から参籠祭を執り行い15日の朝までオマニシクギダの小太鼓の音のリズムに合せて行修者は厳寒の中鍛錬に入り本祭を迎え毎年この場所で執り行われているものである。

平成元年12月18日建立

木古内町 佐女川神社

 


山形荘内藩士上陸之地

木古内町にある山形荘内藩士上陸之地碑。2006年4月に訪問した。

明治期の開拓の歴史を刻んでいる。

 

山形荘内藩士上陸之地碑

2006年4月23日撮影。碑の内容は以下のとおり。

 

山形荘内藩士上陸之地

北門の警備と蝦夷地開拓 自立自営の大使命を帯び 明治18年から同19年にかけて山形県鶴岡を出発 酒田港より御用船にて此の地に上陸し 荘内藩士 佐藤洋孝と共に105戸が帯刀を鍬にかえ 土地開墾を志向す

所謂 士魂を農魂にと皆をあげ決然轉身の勇を揮い 大谷地 棚部岱 瓜谷 吉堀 中野 達川に移住し 爾来 鏤骨の辛苦と苦難の農耕を続け 歴代に受け継がれ 此処に87年の今日 水田酪農郷鶴岡地域を築く

改めて先人の労苦と偉業を偲び永遠に傳えん

酒井忠明書