東照宮一覧

日光東照宮

全国にある東照宮の本社、日光にある東照宮。 お寺ではなく神社。祀られる神様は徳川家康である。

東武日光駅から約1キロ、徒歩で20分程度だが、往路はずっと上り坂となっている。

 

以下、写真は2011年11月26日撮影。

 

日光東照宮

 

 

日光東照宮

杉寄進を記念する碑。説明は以下のとおり。

 

杉並木寄進碑(特別史跡)

松平正綱とその子正信の親子二代が、二十余年を費やして山内地区と東照宮へ通じる日光街道、御成街道、例幣使街道、会津西街道沿いの延べ37キロメートルにわたり、二十数万本の杉を植え、東照宮に寄進した。この碑はそのことを記念して、正信が慶安元年(1648)に建てたものである。同様の碑が他に3基、各街道の日光神領の境ごとに建てられ「境石」とも呼ばれる。

 

日光東照宮

 

 

日光東照宮

輪王寺は改装工事中だったため拝観せず。

 

重要文化財

黒門

日光山輪王寺の表門。通称、黒門。

皇族を門主と仰ぐ門跡寺の格式を示す門。

江戸時代のはじめ、家康公を日光にまつった天海大僧正が創建。やがて後水尾天皇皇子の守澄法親王宮が入山ののち、本坊の表御門となる。明治4年、本坊が焼失したとき、唯一焼け残った建物である。

 

日光東照宮

見事な五重塔。説明は以下のとおり。

 

五重塔

慶安3年(1650)若狭小浜藩主・酒井忠勝の奉納。高さ35m。吊られた心柱により高層建築の振動を調整する工夫がされている。(重要文化財)

Goju-no-to

Five-storied-pagoda 1650AD

(Important Cultural Property)

  

日光東照宮

あまりにも有名な「三猿」。「見ざる、言わざる、聞かざる」。起源には諸説あるようだ。

 

日光東照宮

東照宮がテレビ等で紹介される際、必ず映されるのがこの陽明門である。今回もこの門を見るために日光まで足を運んだ。

初めて実物を目にして意外と小さい印象。

しかしながら、細かな彫刻や像は想像以上に細かな仕事で大変感動させられた。

 

日光東照宮

細部まで非常に手が込んでいる。

 

日光東照宮

本殿側からの陽明門。

 

日光東照宮

 神橋。渡れない。

 

日光東照宮

もやさまで紹介されていたお店。

 


旧東照宮と権現台場跡周辺(2008年)

旧東照宮と権現台場跡

2008年7月26日撮影。函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

 

 

旧東照宮と権現台場跡(ごんげんだいばあと)
東照宮は、元治元年(1864年)五稜郭が完成した時、その鬼門(東北)の守護神とするため、日光東照宮から分霊奉造を受けた日高様似の等澍院から東照大権現を分霊して、上山村(現市内神山町)に建てたのが始まりである。
明治元年(1868年)五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍は翌2年五稜郭北面守備のため四稜郭を急造、さらに五稜郭との重要な結節点にあたる東照宮に砲台(権現台場といわれている。)を設けた。しかし、同年この砲台は新政府軍の攻撃を受け、東照宮も社殿を焼失した。
東照宮は、その後、箱館の天祐庵(現在の青柳町天祐寺)など転々としたが、明治12年(1879年)宝来町に移り、平成3年(1990年)に陣川町に移転した。
この大鳥居は、五稜郭や弁天台場の石垣造りを担当した石工井上喜三郎の作で、箱館戦争の砲火にも壊されずこの地に残った。
函館市

 

 

神山開基三百年記念碑

2008年7月26日撮影。函館市内神山地区の由緒が記された開基三百年記念碑。碑の内容は次のとおり。

 

貞享元年(1684年)この神山の地に七戸の人佐四郎が鍬を入れて以来開拓に精進された多くの先達の労苦に感謝し神山永久の繁栄を願いここに記念の碑を建立する

昭和60年5月 神山開基三百年記念協賛会 会長 長崎喜久夫


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