今日現在、7〜8分咲きといった感じか? 明日が雨だとすると明後日頃には満開が見られるかと思います。
2019年4月30日訪問。
北斗市向野から。
法亀寺のしだれ桜。今年もたくさんの方がいらしてました。ウソに蕾をやられて花が少ないと言われていましたが、それでも十分に見応えがあります。夜のライトアップはさらに素晴らしいものです。
法亀寺のしだれ桜と小山内龍
法亀寺は日蓮宗実行寺の末寺である。1849年(嘉永2)大野村東下町に法亀庵として建てられ、その後法亀寺に改称し、1889年(明治22)現在地に移転した。
境内にある一本のしだれ桜は推定樹齢300年で高さは12mくらい。
垂れ下がった枝いっぱいに花が咲く。これほど見事な桜は珍しいという。
また、小山内龍(本名澤田鉄三郎)は函館に生まれ東京で漫画家、絵本作家として活躍した。「昆虫放談」は名作である。1945年(昭和20年)戦災に遭い本町に疎開し翌年なくなった。小山内龍は法亀寺に眠っている。
法亀庵建立に尽力した中村金兵衛や大野小学校長田中幸次郎の墓、果樹王と呼ばれた岡山峰吉の碑などがある。
平成11年10月
大野町教育委員会
平成18年2月1日より北斗市教育委員会
岡山峰吉の碑
碑文は「岡山峰吉(みねきち)君は理想に近き実業家なり。君を失いしは大野村の一大損失にして、その誇りとする青年の指導者を失いしなり」の一節から始まる。
明治末期から大正中期にかけて、村民から「果樹王」と呼ばれた岡山峰吉は、明治4年(1871)、茨城県河内郡太田で生まれた。同31年7月、夕張、長沼を経て、単身大野へ移住している。峰吉の果樹園はかつて山田致人(むねと)が果樹園を試みた地で、苗床10町歩、果樹園10町歩を経営し、りんご、なし、桜桃(おうとう)、ぶどうを栽培、年産額1万円の収穫を得るまでに成功したことが碑文に記されている。
その努力と大成功に村民から敬愛されたが、大正9年(1920)3月、数え年50の春に他界した。石碑は同年6月、峰吉の妻・蘭によって向野の道路沿いに建てられ、後に法亀寺に移された。碑文を書いた伊藤松太郎は函館の教会の牧師で、峰吉は熱心なクリスチャンでもあった。
短命で後継者のない、はかない果樹王であったが、法亀寺の墓に刻まれた遺言と思われる「我は復活也生命なり」という句から、世俗を達観した人であった。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会
大野川沿いの桜並木。法亀寺の枝垂れ桜とも距離が近いので春にはたくさんの方がお見えになります。が、残念ながら今日はまだつぼみ。今年は、ゴールデンウィークが見頃となりそうです。
この桜は、昭和34年に当時の皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を祝して大野町が植えたもの、とのこと。もともと150本ほどあったそうですが、道路整備等の工事で伐採されたり、枯れたりしたほか、羊に荒らされたこともあって、減ってしまったらしいです。
60年前、大野川沿いにめん羊が放されていた、というのがとても興味深いです。
(平成29年4月29日訪問)
ご成婚記念の桜並木
大野川に沿って南北に走る町道本郷川原町通線の両側に、ソメイヨシノを中心としたおよそ100本の桜並木がある。この桜は昭和34年(1959)、当時の皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して、町が植えたもので、5年ほど育苗した苗木を取り寄せ、町民の協力で植樹された。
当初は150本ほど植えられたが、その後の道路整備や河川改修で伐採されたり、一部が枯れたりして減ってしまった。当時は大野川沿いに、めん羊がよく放され、苗木を荒らされたともいわれている。
樹齢も50年を過ぎ、例年、5月上旬には満開となる。この桜並木通りを歩行者天国にして夜の花見を楽しもうと、桜の木をライトアップした「夜桜インおおの」が昭和63年から8年間続けられた。
また、本郷橋から鹿島橋までの土手に、樹径30センチほどの若い八重桜が37本植えられている。標柱には「今上天皇御即位記念樹」とあり、平成元年(1989)の植樹である。
平成16年11月吉日
大野町教育委員会
平成18年2月1日より北斗市教育委員会
桜の時期には、北斗市桜回廊として平成24年度からライトアップされるようになった大野川沿いの桜並木ですが、北斗市教育委員会の説明板を見ますと、旧大野町時代の昭和63年から8年間、「夜桜インおおの」と題したライトアップが行われていたそうです。知りませんでした。
今も大変美しい桜並木ですが、当時もまた、素晴らしい景色をつくっていたことでしょう。
ご成婚記念の桜並木
大野川に沿って南北に走る町道本郷川原町通線の両側に、ソメイヨシノを中心としたおよそ100本の桜並木がある。この桜は昭和34年(1959)、当時の皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して、町が植えたもので、5年ほど育苗した苗木を取り寄せ、町民の協力で植樹された。
当初は150本ほど植えられたが、その後の道路整備や河川改修で伐採されたり、一部が枯れたりして減ってしまった。当時は大野川沿いに、めん羊がよく放され、苗木を荒らされたともいわれている。
樹齢も50年を過ぎ、例年、5月上旬には満開となる。この桜並木通りを歩行者天国にして夜の花見を楽しもうと、桜の木をライトアップした「夜桜インおおの」が昭和63年から8年間続けられた。
また、本郷橋から鹿島橋までの土手に、樹径30センチほどの若い八重桜が37本植えられている。標柱には「今上天皇御即位記念樹」とあり、平成元年(1989)の植樹である。
平成16年11月吉日 大野町教育委員会 平成18年2月1日より北斗市教育委員会
2013年、おそらく最初で最後の花見。道路に花弁が落ちていないにも関わらず、花よりも葉が目立つあたり、ウソの威力を痛感させられる。
これが自然の営み。来年は一層見事な桜の花を咲かせてくれるものと期待する。
本日をもって今年度の北斗市桜回廊ライトアップは終了となった。非常に残念ながら仕事が長引き、18:00〜21:00のライトアップ時間帯に間に合わなかった。
今年の春は非常に寒い日が続き、天候も良くなかったため、桜の開花が例年と比べ、とても遅くなった。
また、法亀寺のしだれ桜は、ウソに蕾を食べられたこともあり、例年見られている方からすれば、花の量が少なくやや寂しい印象を受けられたと思う。
地元の諸先輩によると、ウソにやられた翌年の桜は見事になる、とのこと。桜の木にとっては、ウソに蕾を食われることは良いことなのだとか。
今年見に行けなかった分、来年の桜に大いに期待したい。
葛飾北斎の「鷽と垂桜」。(東京国立博物館蔵)
「鳥ひとつ濡れて出けり朝さくら 雪萬」
○出典
東京国立博物館 画像検索
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0012973 (2013.5.17アクセス)
戸切地陣屋跡、大野川沿い、法亀寺、これら桜スポットが注目されているが、実は清川通(道道96号線)の桜並木も見事である。できれば徒歩にて戸切地陣屋跡まで散歩したい。
2012年5月13日撮影。
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