武田斐三郎一覧

五稜郭公園(2007年)

今年の東京の桜は終わってしまったが、北海道ではこれからが本番。

道南ではゴールデンウィーク頃が見頃だろうか。

以下の写真は2007年に撮影した五稜郭公園。

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。正面の五稜郭タワーには鯉のぼりが泳ぐ。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

五稜郭公園

2007年5月4日撮影。

 

 

武田斐三郎先生顕彰碑

2007年5月4日撮影。五稜郭公園内の「武田斐三郎先生顕彰碑」。五稜郭築城に貢献した人物。

 

函館市による説明文は以下のとおり。

 

五稜郭築城設計及び監督箱館奉行支配諸術調所教授役

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)先生顕彰碑

五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工、7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。

のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。築城100年記念に当ってこの碑を建てた。

昭和39年(1964)7月18日 函館市

 

 

 

兵糧庫

2007年5月4日撮影。物資備蓄に用いられた兵糧庫。

 

市教委による説明は以下のとおり。

 

 

兵糧庫(ひょうろうこ)

構造 土蔵造 平屋建

規模 間口 21.82m(12間)

奥行 9.1m(5間)

面積 198.34㎡(60坪)

この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物資を備蓄するために造られた土蔵造の建物で、元治元年(1864)五稜郭が築城された当時のものです。

当時、五稜郭内には箱館奉行所庁舎、土蔵厩舎があり、また、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。

明治元年(1868)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武揚)等が五稜郭を占拠した際(箱館戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。

この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年から平成14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。

函館市教育委員会

 

 

玄関式台

2007年5月4日撮影。玄関式台。奉行所で使われていたものではないらしい。

以下説明板の内容。

 

玄関式台

この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」ではないことが分かりました。

「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。

この「玄関式台」は旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。明治43年の改築の際に払い下げされ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。その後昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。

 

 


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