縄文一覧

郷土資料館第9回特別展「北斗市縄文展~土器たちの『かお』と『かお』のない土偶~」

北斗市の郷土資料館の展示情報です。

『かお』(顔面の表現)の無い、茂辺地地域の遺跡から出土したちょっと不思議な土偶たちも展示

開催期間

  • 2019年9月20日(金)~2019年11月10日(日)※10月7日(月)は休館日のためのぞく
  • 午前9時開館~午後5時閉館

会場

  • 北斗市郷土資料館 特別展示室(北斗市総合分庁舎どり~みん2階)

入場料

  • 無料

北海道新聞「パリに出品「赤彩注口土器」 9日から 八雲で「凱旋」展示」

町野田生で出土した縄文土器で、フランス・パリで昨年開かれた「縄文―日本における美の誕生」展に海外初出品された「赤彩注口土器(せきさいちゅうこうどき)」が、9日から町木彫り熊資料館で「凱旋(がいせん)」展示される。

常設展示されてないそうなので、実物を目にすることができる貴重な機会です。


人形装飾付異形注口土器

昭和7年に茂辺地遺跡で出土した重要文化財の人形装飾付異形注口土器(ひとがたそうしょくつきいけいちゅうこうどき)、『上磯町史 上巻』(平成9年)には国立歴史民俗博物館収蔵とありますが、現在は、上野の東京国立博物館にあるようです。なお、レプリカは、新函館北斗駅併設の北斗市観光交流センター1階のイベントスペースで展示されています。

人形装飾付異形注口土器

※画像出典:東京国立博物館

参考

 


工藤雅樹(2001)『蝦夷の古代史』平凡社新書

「縄文」「蝦夷」「アイヌ」。言葉の定義として整理し、理解することが重要ながら、相当に難しい。実際には、これらは区分けできるものではなく、ゆっくりと溶け込むようにして今に至っている、そんなふうに感じました。

目次

  • はじめに
  • 第1部 古代蝦夷の諸段階
    • 第1章 古代蝦夷の諸段階
    • 第2章 東国人としての「エミシ」—第1段階
    • 第3章 大和の支配の外にある者としての「エミシ」—第2段階
    • 第4章 大化の改新後の世界—第3段階
    • 第5章 平安時代の蝦夷—第4段階
  • 第2部 蝦夷はアイヌか日本人か
  • あとがき
  • 参考文献
  • 年表

 


瀬川拓郎(2016)『アイヌと縄文—もうひとつの日本の歴史』ちくま新書

縄文文化を受け継いだアイヌ。縄文文化は、弥生文化に飲み込まれてしまいすでになくなっている、というのは誤りで、脈々と我々の深層で生き続けている。

前に読んだ『マタギ 矛盾なき労働と食文化』(田中康弘著)とも内容がつながっているように思われた。

 

 

 

  • 目次
    • はじめに
    • 第1章 アイヌの原郷—縄文時代
      • 1 アイヌと縄文文化
      • 2 アイヌと縄文人
      • 3 アイヌと縄文語
    • 第2章 流動化する世界—続縄文時代(弥生・古墳時代)
      • 1 弥生文化の北上と揺れ動く社会
      • 2 古墳社会との交流
      • 3 オホーツク人の侵入と王権の介入
    • 第3章 商品化する世界—擦文時代(奈良・平安時代)
      • 1 本州からの移民
      • 2 交易民としての成長
      • 3 同化されるオホーツク人
    • 第4章 グローバル化する世界—ニブタニ時代(鎌倉時代以降)
      • 1 多様化するアイヌの世界
      • 2 チャシをめぐる日本と大陸
      • 3 ミイラと儒教
    • 第5章 アイヌの縄文思想
      • 1 なぜ中立地帯なのか
      • 2 なぜ聖域で獣を解体するのか
    • おわりに
    • 引用文献

 

 


当別の土偶〜その2

『蝦夷島奇観』はいくつもの写本があるらしく、当別の土偶に係るページについてデジタルアーカイブとして公開されているものはあまり多くない。先日の北大データベースと、北海道開拓記念館のサイトのもの(以下)しか発見できなかった。

ただ、『上磯町史 上巻』(p.164)に掲載されている土偶の図版は、北大、開拓記念館、いずれのものとも異なっていて、どこに所蔵されている写本なのかはわからない。市立函館博物館のデジタルアーカイブにて公開されているものかとも考えたが、この土偶のページはサイト上では見つけられなかった。

 

 

■出典 北海道開拓記念館>蝦夷島奇観(近夷地雑図部)(2014年3月26日アクセス)


当別の土偶

江戸幕府の役人であった村上島之丞(秦檍丸)による『蝦夷島奇観』は、約200年前の北海道で営まれていたアイヌの人々の生活や文化を知るうえで貴重な資料となっているが、そのなかに、当別で出土したとされる土偶について記載がある。

上記は北海道大学の北方資料データベースに掲載されている写本のデータだが、寛政10年春、當別村氏神の祠横から掘り出されたとある。顔にある細かな点は入れ墨を表しているものと考察されている。

写実的な頭部や胴体から、おそらく縄文時代後期〜晩期の土偶ではないかと推測されているが、確かに、同時期のものとされる函館市の国宝、中空土偶とも、なんとなく似ているように感ずる。

残念ながらこの土偶、その後どこにいってしまったのか不明らしい。

 

 

■出典 北海道大学北方関係資料総合目録>蝦夷奇観 / 村上嶋之允 (37 / 51 ページ)(2014年3月25日アクセス)


大船遺跡

縄文時代中期の大規模集落跡である大船遺跡。

旧南茅部町地区の小高い丘の上に位置している。

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

ようこそ大船遺跡へ

大船遺跡は、今から5〜4千年前(縄文時代中期)の集落跡です。ここは、海の幸、豊かな噴火湾や、温泉の湧く大船川などの自然に恵まれ、縄文時代の人人の生活には最適な土地でした。

平成8年に調査を開始し、これまで100軒以上の竪穴住居、食料の貯蔵穴やお墓などの土坑60か所以上が見つかり、大きな縄文の集落であることがわかりました。

出土した遺物も非常に多く、クジラやマグロ、クリやヒエなど当時の食料も見つかっています。

現在は、雪や霜などで遺跡が崩れるのを防ぐため一時的に埋めもどし、代表的な住居だけを展示しています。どうぞ、ご自由に見学してください。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。

 

 

大船遺跡

2007年5月6日撮影。説明板の内容は以下のとおり。

 

国指定史跡 大船遺跡

内容 縄文時代中期(約5〜4千年前)の集落跡

指定面積 71,832.03㎡

指定理由

大船遺跡は、推定千軒をこえる竪穴住居と盛土遺構、山側には貯蔵穴、北側の沢にはシカの落とし穴などが広がっています。

この遺跡は、深く掘り込んだ大型の竪穴住居が特徴です。日常用具のほか、クジラやオットセイの骨、炭化したクリなど、当時の食生活を知る貴重な遺物が出土しています。

指定年月日 平成13年8月13日 文部科学省告示第138号

 

 


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