蝦夷一覧

寛文7年頃作とされるゑぞの絵図に記されている上磯地域

 函館市中央図書館デジタル資料館で公開されているゑぞの絵図は、寛文7年頃の作とされており、西暦だと1667年年頃となる。

 「亀田」と「キコ内」の間に「トウヘチ」「モヘチ」が見える。また、折り目で欠けているが「ヘケ」とあるのは「ヘケレチ」と推測される。

ゑぞの絵図

出展: 函館市中央図書館デジタル資料館>ゑぞの絵図


寛永正保頃とされる松前蝦夷図に記されている上磯地域

 函館市中央図書館デジタル資料館で公開されている松前蝦夷図は、寛永正保頃とされており、西暦だと1624年から1648年頃となる。

 上磯のあたりに「ヘケツレチ」「川モヘチ」「トウヘチ」と記されているのが見える。言わずもがな「ヘケツレチ」は、「ヘケッレチ」つまり「ヘキリチ(戸切地)」であり、「トウヘチ」は「トウベツ(当別)」であり、頭に「川」が付いているが「モヘチ」は「茂辺地」である。

松前蝦夷図

出展: 函館市中央図書館デジタル資料館>松前蝦夷図 寛永正保頃


菊池俊彦(2009)『オホーツクの古代史』平凡社新書

中国の史料に登場する流鬼や夜叉。流鬼や夜叉がどこにあり、どのような人々だったのか、ということについて永年の議論があるが、本書において著者は、

流鬼はサハリンのオホーツク文化の人たちであり、夜叉はオホーツク海北岸の古コリャーク文化の人たちだった、と私は考えている。そして流鬼はニヴフ民族に相当し、夜叉はコリャーク民族に相当すると考えることができる。(p.12)

と主張し、環オホーツク海の諸民族の古代史を丁寧に解説する。

印象的だったのが、『元史』に登場する骨嵬(こつがい)についての以下の箇所。

ここで骨嵬と書かれているのは、ギリャーク(ニヴフ)民族がアイヌ民族をクギとよぶ発音の漢字表記であるから、骨嵬は明らかにアイヌ民族を指している。骨嵬という表記はその後、明朝では苦兀(くごつ)あるいは苦夷(くい)と書かれている。これはアムール河下流域のツングース民族がアイヌ民族をクイとよぶ発音に対応している。(p.169-170)

骨嵬(くぎ)→苦兀(くごつ)・苦夷(くい)、この流れで蝦夷(かい)と日本で表記されるようになったのだろうか?

目次

  • はじめに
  • 第一章 流鬼国の朝貢使節
    • 流鬼国はカムチャツカ半島か、サハリンか
    • 「北海」はバイカル湖か
    • 一万五千里の彼方にある国
    • 黒水靺鞨の領域
    • 「少海」は「小海」
    • 流鬼の使節の名前
    • 使節の長安到着
    • 「三訳」とは何か
    • 騎都尉という称号
  • 第二章 流鬼国はどこにあったのか
    • 何秋濤のカムチャツカ半島説
    • シュレーヘルの流鬼伝の翻訳
    • ロシアのカムチャツカ進出
    • 白鳥庫吉のサハリン説
    • 流鬼=アイヌ民族説
    • 唐代のギリャーク民族とアイヌ民族の居住地
    • 和田清のカムチャツカ半島説
    • 夜叉の解釈をめぐって
    • 夜叉=エスキモー民族説
    • カムチャツカ半島の考古学資料
  • 第三章 オホーツク文化の大陸起源説
    • オホーツク文化とエスキモー
    • オホーツク文化という名称
    • オホーツク文化と大陸
    • モヨロ貝塚の発掘
    • 東亜考古学会主導のモヨロ貝塚の発掘
    • オホーツク式土器の類例
    • ホロンバイルの土器
    • アリュート民族渡来説
    • オホーツク文化の人たちの大陸からの渡来説
    • 粛慎(しゅくしん)と粛慎(みしはせ)
  • 第四章 オホーツク文化と流鬼
    • サハリンの遺跡調査
    • アムール河中流域の遺跡調査
    • オホーツク海北岸の遺跡調査
    • オホーツク文化の遺跡調査
    • 大陸側の考古学資料の引用
    • エスキモー民族渡来説
    • ウリチ民族説渡来説
    • 黒水靺鞨渡来説
    • オホーツク文化の靺鞨系遺物
    • オホーツク文化=ギリャーク民族説
    • 流鬼国=サハリン=オホーツク文化
    • ホロンバイルのブルホトゥイ文化
  • 第五章 夜叉国と環オホーツク海交易
    • オホーツク海北岸の古コリャーク文化
    • 皇宋通宝の発見
    • オホーツク海北岸のトカレフ文化
    • オホーツク海北西岸の初期鉄器時代の遺跡
    • カムチャツカ半島東岸のタリヤ文化
    • 環オホーツク海の諸民族
    • アイヌ民族のサハリン進出
    • 再びオホーツク文化の人たち=粛慎説
    • 流鬼国の朝貢使節の貢物
    • 中国に運ばれたセイウチの牙
    • オホーツク文化のセイウチの牙製品
    • オホーツク海北岸のセイウチの牙
    • 夜叉国へ至る道
  • あとがき
  • 主要参考文献
  • 挿図出典一覧

その他


松宮観山『蝦夷談筆記』

江戸中期の儒学者、松宮観山の『蝦夷談筆記』に茂辺地、富川、戸切地のアイヌ居住について記載有。

『上磯町史 上巻』(1997年,上磯町)p.510に当該箇所の読み下しが載っています。

一、蝦夷地と松前地との境の義しかと限は無御座候。西在郷は田澤、乙部、東在郷ちこない、しやつかり、茂辺地、富川、へけれ地辺迄、人間 日本人の事を云 と入交り、蝦夷人居住仕候。しやも 日本人の事 の中に交り候て住居仕候義好不申哉、段々蝦夷地へ引入候て、近年は少く罷有、田澤、乙部杯のゑぞは疱瘡疹に死亡仕、只今は大方絶申候事

茂辺地、富川、戸切地のあたりでも蝦夷人が和人と混住していたものの、混住を嫌い、蝦夷人は蝦夷地に移っていったため少なくなった、といったことのようです。

なお、『蝦夷談筆記』の写本データが、早稲田大学図書館古典籍総合データベースに掲載されており、上記箇所(2ページ目が当該箇所)についても確認できます。


読売新聞「多賀城廃絶 11世紀以降か」

先日(平成28年12月14日)の読売新聞朝刊23面に「多賀城廃絶 11世紀以降か」との記事。10世紀半ばには廃絶していた、というのがこれまでの発掘成果による定説だったものの、近年の調査にて、11世紀に使用されたと思しき土器が発見され、当該定説が覆る可能性があるとのこと。

奥州藤原氏台頭期の多賀城の位置付け等、今後の研究成果に期待。

参考

「多賀城と世界遺産平泉」宮城県多賀城跡調査研究所 古川一明 (2016/12/17アクセス)


工藤雅樹(2001)『蝦夷の古代史』平凡社新書

「縄文」「蝦夷」「アイヌ」。言葉の定義として整理し、理解することが重要ながら、相当に難しい。実際には、これらは区分けできるものではなく、ゆっくりと溶け込むようにして今に至っている、そんなふうに感じました。

目次

  • はじめに
  • 第1部 古代蝦夷の諸段階
    • 第1章 古代蝦夷の諸段階
    • 第2章 東国人としての「エミシ」—第1段階
    • 第3章 大和の支配の外にある者としての「エミシ」—第2段階
    • 第4章 大化の改新後の世界—第3段階
    • 第5章 平安時代の蝦夷—第4段階
  • 第2部 蝦夷はアイヌか日本人か
  • あとがき
  • 参考文献
  • 年表

 


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