陣屋一覧

東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡

2007年訪問の森町砂原の南部藩砂原陣屋跡。

今も土塁の跡が残されている。

 

南部藩陣屋跡

2007年3月3日撮影。

 

南部藩陣屋跡

2007年3月3日撮影。

 

南部藩陣屋跡

2007年3月3日撮影。

 

敷地内には説明板が設置されている。2007年当時2種類の説明板があり、内容はほぼ同一。

記載されていた内容は以下のとおり。

 

東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡<国指定史跡>

昭和49年8月22日指定

所在地 四軒町

設置年月日 安政三年

幕府は安政2年4月(1855)仙台、秋田、南部、津軽、及松前の5藩に、蝦夷地警衛の分担を命じた。

南部藩は箱館表出崎の警衛を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで、一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、砂原分屯所(南部陣屋)は、安政3年には、四軒町にあり、兵隊約50名、砂原は市中と神社脇や駒ヶ岳のふもとに、小屯(見張所)をおいた。

旧砂原町四軒町に、東西37間(66.6m)南北約33間(59.4m)の方形に、周囲の土塁の高さ、約1丈(3m)である。

 

 

蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(国指定史跡)

Sawara-territory of Nanbu-domain in East Ezo ( Hokkaido ) ( National Historic sight )

この陣屋跡は、幕府の命により、南部藩が北辺警備のために、安政3年(1856年)10月より翌1月にかけて築造したといわれている、南部藩室蘭陣屋の砂原分屯所です。

明治元年(1868年)砂原陣屋(分屯所)内の家屋等を壊して引揚げるまで、常に約30名の藩兵が駐屯していたといわれています。

広さは、東西約37間(66.6m)、南北約33間(59.4m)の方形に、周囲の土塁の高さ、約1丈(3m)と記録されています。

Years ago , there was a fort in the Sawara-territory built by the Nanbu-domain under order of the Shogonate. The construction lasted from October 1856 through January 1857. Upon completion , it spanned 66.6 m from East to West , 59.4 m from North to South and 3 m in height. The Sawara-territory fort served as a branch to a fort already existing in Muroran city. Thirty people from the Nanbu-domain stayed at the Sawara-territory fort until 1868 when all buildings were ordered destroyed.

森町

 


南部藩陣屋跡

ロープウェイ基地から南部坂を下ると南部藩陣屋跡の碑がある。

 

南部藩陣屋跡

2008年9月15日撮影。

 

函館市設置の観光標識の内容は次のとおり。

 

 

南部藩陣屋跡
幕府が蝦夷地(北海道)を初めて直轄した時代(1799年〜1821年)、幕府の命により南部藩が蝦夷地を整備するための陣屋跡で、敷地は、当初16,200m2ほどであったが、19,800m2増して36,000m2以上となった。
建物は極めて粗末で、ここには相当な人数が勤務し越冬していたが、病人がたくさん出た。(文化4年には342人勤務、うち150人越冬)
後の幕領時代(1854年〜1867年)にもここを陣屋として再建し、約300人が勤務していた。
明治元年戊辰戦が東北に及び国元を守備する為、同年8月11日夜、イギリス人ブラキストンから雇入れた汽船に乗って箱館を引き揚げ、南部へ帰った。
この碑は昭和29年7月30日、岩手県南部会が建立した。
函館市
 
The remains of the garrison of the Nanbu Clan
These are the remains of the garrison where the Nanbu clan kept watch over Ezo (Hokkaido) Between 1799 and 1821, the Tokugawa Shogunate government had Ezo under their direct control. At first the Nanbu garrison covered 16,200 square meters and was later enlarged to more than 36,000 square meters.
In 1807, 342 men worked and stayed there throughout the cold season. Because the building was so poorly constructed and offered little protection, many became ill. Only 150 men survived through the winter. Between 1854 and 1867, the garrison was rebuilt and about 300 men served here. In 1868, fighting from the Boshin Civil War spread to the Tohoku area.
To guard their hometown, the Nanbu Clansmen left Hakodate on a ship bought from an Englishman, Thomas Blakiston, on August 11.
This monument was erected by the “Nanbukai” (Nanbu Clan Society) of Iwate Prefecture on July 30, 1954.
CITY OF HAKODATE

 


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