函館市

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外国人墓地(ロシア人墓地)

明治3年(1870)、当時の開拓使函館支庁と在函5ヶ国領事との間で外国人墓地に関する協定が締結され、この場所がロシア人墓地として公式に認められた。この墓地で最も古い墓は、1859年6月29日(露暦)のアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ボウリケヴィチのもの。現在、ロシア軍艦の乗組員25名や白系ロシア人7名など全部で43基の墓があり、その中には、初代領事ゴシケーヴィチ夫人や領事館付属聖堂の読経者で、のちに魯学校の教師として活躍した ヴィサリオン・サルトフの墓も含まれている。
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南部藩士の墓地

寛政・安政年間に蝦夷地が幕領化された際、南部藩と津軽藩が警備を命ぜられ、多くの藩士が蝦夷地に渡り、任務に当たった。この墓地は、事故や病気等で蝦夷地に倒れた南部藩士を弔うもので、現在12名の藩士が祀られている。
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シャルトル聖パウロ修道女会墓地

函館市船見町の地蔵寺墓地に隣接するシャルトル聖パウロ修道女会墓地に、全国白百合学園発祥の函館白百合学園創設者であり函館における社会福祉事業の先駆けとなったスール・マリ・ネオジムが眠っている。
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函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

明治18年、内務省は防疫体制強化のため函館ほか主要5港に日本最初の常設消毒所を建設した。函館市船見町に残るこの建物は当該消毒所の事務所として使用されたもので、現在は改装され、夕景と日本茶を楽しめるカフェ「ティーショップ夕日」となっている。なお、隔離室として用いられた建物は、函館市昭和の永全寺に同寺納骨堂として移転されている。
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堀川乗経、ジョン・ミルンとトネ夫妻の墓

函館山西側、船見町の本願寺函館別院墓地に、亀田川掘削を行い函館市街地発展に大きく貢献した堀川乗経及び日本地震学の礎を築いたジョン・ミルンとその妻で堀川乗経の娘トネの墓碑がある。
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