函館市

万平塚

場所は地蔵寺入り口。万平なる人物についての詳細は不明。 2018年10月8日撮影。 説明板 万平塚 石川啄木の歌に、「むやむやと 口の中にてたふとげの事を呟く 乞食もありき」というのがあるが、この乞食こそ明治から大正にかけての函館の名物男で名を万平といった。 ユーモアがあり、人から恵んでもらわない気骨のある乞食で、毎朝ゴミ箱を探し歩き、その家の人物評を日記風に書き残した。 一例を上げると「11月1日(明治39年)今朝好天気なれば先以て山田邦彦君(函館区長)の芥箱を探しにゆく。流石に山田君の夫人は、文明の空気を吸われつつあり、豚の脂身一塊、大根の皮と共に捨てられてるは、西洋料理の稽古最中と覚ゆ…」などとある。 この塚は、大坂から所用で来た鉄工場主「藤岡惣兵衛」が、万平にタバコの火を借りようとした際「帽子も取らずに」となじられたが、その人柄に感じ入り...
函館市

有無両縁塔

地蔵寺の入り口に建てられている有無両縁塔は、元治元(1864年)に、遊郭の経営者たちが引き取り手のない遊女などを供養するために合同で建立したものです。 2018年10月8日撮影。 説明板 有無両縁塔 この「有無両縁塔」は、元治元(1864年)に、当時の遊郭の経営者たちが、引き取り手のない遊女などを供養するために、合同で建立した供養塔である。 かつて山ノ上町と呼ばれた界隈(現在の船見町周辺)には、多くの遊女屋があって賑わっていたが、箱館奉行が安政5(1868)年に、その一画を山ノ上遊郭として公認してからは、整備も進んでいった。さらに、翌年の開港に伴い、日本各地の商人や外国人の往来が盛んになり、遊郭も一層の賑わいをみせるようになった。 この碑は、開港という新しい時代の陰に、遊郭で働き、ここで生涯を終えざるを得なかった女性たちがいた事実を残すもので...
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