2023-01

資料集

道南の図書館

渡島・檜山管内の主な図書館リスト。公立図書館・図書室はもちろんだが、大学図書館も一般利用が可能。 ※大学図書館は、現在、新型コロナウイルス感染症対策のため学外利用者を制限しているところが多いため、利用に当たっては事前に各サイトを確認する必要...
函館市

碧血碑

箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地、箱館での旧幕府脱走軍戦死者の霊を祀っているのが、この碧血碑である。碑石は、7回忌にあたる明治8年(1875年)、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、碑の題字は、戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。 碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは、旧幕府脱走軍の霊を公 然と祀るには支障があったことが推測される。 なお、 碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。
函館市

柳川熊吉翁の碑

柳川熊吉は、安政3年(1856年)に江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、労働者の手配に貢献した。明治2年(1869年)、箱館戦争が終結すると、敗れた旧幕府脱走軍の遺体は、「賊軍の慰霊を行ってはならない」との命令で、市中に放置されたままであった。新政府軍のこの処置に義憤を感じた熊吉は、実行寺の僧と一緒に遺体を集め、同寺に葬ったが、その意気に感じた新政府軍の田島圭蔵の計らいで、熊吉は断罪を免れた。明治4年(1871年)、熊吉は函館山山腹に土地を購入して遺体を改葬し、同8年(1875年)、 旧幕府脱走軍の戦死者を慰霊する「碧血碑」を建てた。大正2年(1913年)、熊吉88歳の米寿に際し、有志らはその義挙を伝えるため、ここに寿碑を建てた。
スポンサーリンク