北斗市

土塁

大野農業高校に残る土塁は、庄内で養蚕事業に実績のあった榊原十兵衛らが明治8年春から秋にかけて築いたものである。
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観音山

北斗市向野の観音山(標高144.4m)に、この地域で最も古いといわれる馬頭観音が祀られている。放牧馬に対する熊の被害が多かったことに因むものらしい。明治44年には日露戦争戦死者忠魂碑が建てられ、毎年献納された花相撲は地域の人々に親しまれた(忠魂碑は、昭和42年に意冨比神社境内に移設されている。)。また、天保飢饉の際には、観音山の蕨やどんぐり等により多くの人々が飢えをしのいだとの記録が残されている。
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八郎沼

北斗市向野の八郎沼公園は、明治13年に山田致人が乳牛の飲み水用に池を掘ったのが始まりで、その後中村長八郎が養鯉場として修築し現在に至る。八郎沼の八郎は、中村長八郎の名に因むものである。
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大野養蚕場跡

明治8年、開拓使は、大野村向野(現北斗市向野)に大野養蚕場を開設した。のちに徳川義礼に貸し付けられ、徳川農場と呼ばれた。大野養蚕場時代に囲いとして築かれた土塁や境界に植えられた黒松並木は、現在も大野農業高等学校敷地内にその姿をとどめている。
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北斗市清川の旧神山繁樹邸

北斗市清川に残る旧神山繁樹邸は、明治29(1896)年に建てられたもので、洋風の外観と伝統的な間取りという当時流行した建築様式を今に伝えている。 神山繁樹は、函館の郷土史家である神山茂の祖父にあたる人物で、嘉永2(1849)年に会津で生まれ、明治4(1871)年函館にやってきた。函館で牛肉店、ホテル、洋食店などを営み実業家としての成功を収めたのち、明治25(1892)年に清川村に移り住む。 清川村でも多くの小作人を抱える開拓農場主として活躍したほか、沖川小学校や清川寺の改築にも尽力し、昭和9(1934)年、87歳でこの世を去った。
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北海道水田発祥の地碑

北斗市村内に北海道水田発祥の地碑が建てられている。天明期に松前広長によって著された『松前志』に、元禄5(1692)年に作左衛門という人物が東部亀田において新田を試みたが3年にして廃れた、との記載があることに因むものである。
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