2022-11

函館市

立待岬

この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ。すなわち、ここで魚を捕ろうと立って待つ)に囚むという。 18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。 現在は、津軽海峡を望む景勝地として、多くの観光客が訪れている。 近くには石川啄木一族の墓や与謝野寛・晶子の歌碑もある。
函館市

与謝野寛・晶子の歌碑

市立函館図書館の創設者であり館長でもあった岡田健蔵の雅号に由来する図書裡会が、棒二森屋百貨店の援助を得て、岡田健蔵を顕彰する意味も込め、昭和6年(1931年)に来函した与謝野寛・晶子の歌碑を立待岬に建立した。 撮影:2022年9月11日 (...
函館市

豊川稲荷神社

文久年間(1861年~1864年)、付近の繁盛を願って有志が創立したもので、当時この付近は新築島(しんつきしま)と呼ばれていたが、この神社ができてから豊川町と称するようになった。 昭和9年(1934年)の大火まで4回類焼しており、現在の神社は昭和15年(1940年)に建てられたもので、海に向いて建っていた当時とは向きが逆である。 古くから商売繁盛の神様として多くの人々から崇められ、魚市場や蓬莱町(現宝来町)見番芸妓一同が献納した石灯籠などがそれを物語っている。
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