函館市

土方・河野供養碑、高田屋一族の墓

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   河野加賀守政通公の供養碑河野政通公は享徳三年(一四五四)南部大畑より渡来し、現在の函館病院附近に館を築き函館一帯の地を治めた。後、アイヌ等と和人の間に争を生...
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称名寺

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   称名寺 称名寺は、正保元年...
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高田屋嘉兵衛顕彰碑

称名寺境内にある高田屋嘉兵衛顕彰碑は、高田屋嘉兵衛130回忌を記念して昭和31年に建てられたものである。撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日何れの邦土にも其の邦の風習はあるが斯様な仕事を為せる者を真...
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傷心惨目の碑

明治2年(1869年)5月11日、箱館戦争最大の激戦が箱館の市街地で行われた。当時の高龍寺は、もっと坂の下にあり旧幕府脱走軍の箱館病院分院にあてられたが、同日、新政府軍の先鋒隊が乱入し、傷病兵らを殺傷して寺に放火し、会津遊撃隊の者が多数犠牲となったという。明治12年(1879年)高龍寺は移転、翌13年(1880年)に旧会津藩有志がこの碑を建て、斬殺された藩士を供養した。碑面「傷心惨目」は、中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。
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函館港改良工事記念碑

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   函館港改良工事記念碑 函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。 ...
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高龍寺

函館市内最古の寺院、高龍寺。もとは、現在の万代町付近にあったが、宝永3年に現在の入舟町に移転。現在地へは明治12年に移転した。本堂の完成は明治33年、山門の完成は明治43年。明治末期の貴重な木造寺院として、平成23年に国の有形文化財に登録さ...
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函館中華山荘

函館中華山荘は、明治9年、青森県下に漂着した中国人の遺体を埋葬するため開拓使から土地を借りたことに始まり、大正8年、周りをレンガ塀で囲み、現在のような体裁となった。
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外国人墓地(ロシア人墓地)

明治3年(1870)、当時の開拓使函館支庁と在函5ヶ国領事との間で外国人墓地に関する協定が締結され、この場所がロシア人墓地として公式に認められた。この墓地で最も古い墓は、1859年6月29日(露暦)のアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ボウリケヴィチのもの。現在、ロシア軍艦の乗組員25名や白系ロシア人7名など全部で43基の墓があり、その中には、初代領事ゴシケーヴィチ夫人や領事館付属聖堂の読経者で、のちに魯学校の教師として活躍した ヴィサリオン・サルトフの墓も含まれている。
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有無両縁塔

地蔵寺境内(入口横)に建てられている有無両縁塔は、引き取り手のない遊女などの供養のため遊郭経営者たちが合同で建立したものである。
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万平塚

函館市船見町の地蔵寺墓地入口に万平塚が建てられている。万平という人物は、明治の頃、船魂神社脇の岩穴に住んでいた乞食で、教養が深いことで知られていた。また、石川啄木とも関わりがあったらしい。
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