函館市

真言寺と不動明王立像

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   真言寺と不動明王立像 真言寺は、文久年間(1861年~1864年)、僧 寛純により創立されたといわれる。 この寺の主仏である不動明王は日常開帳されていない。...
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函館中華山荘

函館中華山荘は、明治9年、青森県下に漂着した中国人の遺体を埋葬するため開拓使から土地を借りたことに始まり、大正8年、周りをレンガ塀で囲み、現在のような体裁となった。
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外国人墓地(ロシア人墓地)

明治3年(1870)、当時の開拓使函館支庁と在函5ヶ国領事との間で外国人墓地に関する協定が締結され、この場所がロシア人墓地として公式に認められた。この墓地で最も古い墓は、1859年6月29日(露暦)のアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ボウリケヴィチのもの。現在、ロシア軍艦の乗組員25名や白系ロシア人7名など全部で43基の墓があり、その中には、初代領事ゴシケーヴィチ夫人や領事館付属聖堂の読経者で、のちに魯学校の教師として活躍した ヴィサリオン・サルトフの墓も含まれている。
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外国人墓地(プロテスタント墓地)

地蔵寺の向かいにあるプロテスタント墓地。ペリー艦隊の水兵や日本人キリスト教徒も眠っている。
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有無両縁塔

地蔵寺境内(入口横)に建てられている有無両縁塔は、引き取り手のない遊女などの供養のため遊郭経営者たちが合同で建立したものである。
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万平塚

函館市船見町の地蔵寺墓地入口に万平塚が建てられている。万平という人物は、明治の頃、船魂神社脇の岩穴に住んでいた乞食で、教養が深いことで知られていた。また、石川啄木とも関わりがあったらしい。
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南部藩士の墓地

寛政・安政年間に蝦夷地が幕領化された際、南部藩と津軽藩が警備を命ぜられ、多くの藩士が蝦夷地に渡り、任務に当たった。この墓地は、事故や病気等で蝦夷地に倒れた南部藩士を弔うもので、現在12名の藩士が祀られている。
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堀川乗経、ジョン・ミルンとトネ夫妻の墓

函館山西側、船見町の本願寺函館別院墓地に、亀田川掘削を行い函館市街地発展に大きく貢献した堀川乗経及び日本地震学の礎を築いたジョン・ミルンとその妻で堀川乗経の娘トネの墓碑がある。
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天下の号外屋翁の墓

船見町の墓地でも一際目を引く赤い墓は「赤墓」と呼ばれ広く知られているが、赤墓に眠る信濃助治という人物について詳しいことはわかっていない。函館市の説明板によれば、全身に赤色のものを纏う変わり者だったようである。
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函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

明治18年、内務省は防疫体制強化のため函館ほか主要5港に日本最初の常設消毒所を建設した。函館市船見町に残るこの建物は当該消毒所の事務所として使用されたもので、現在は改装され、夕景と日本茶を楽しめるカフェ「ティーショップ夕日」となっている。なお、隔離室として用いられた建物は、函館市昭和の永全寺に同寺納骨堂として移転されている。
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