函館市

天下の号外屋翁の墓

船見町の墓地でも一際目を引く赤い墓は「赤墓」と呼ばれ広く知られているが、赤墓に眠る信濃助治という人物について詳しいことはわかっていない。函館市の説明板によれば、全身に赤色のものを纏う変わり者だったようである。
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大正湯

函館市弥生町の大正湯。創業は大正3年で、現在の建物は昭和2年に建て替えられたものだが、脱衣所は建築当時のままとのこと。函館市景観形成指定建築物となっている。 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日...
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遺愛学院(旧遺愛女学校)旧宣教師館

遺愛学院旧宣教師館、通称ホワイトハウスは、明治41(1908)年、アメリカから来た教師の住まいとして建築家ガーティナーの設計により建てられたものである。 撮影:2022年4月2日 撮影:2022年4月2日 明治41(1908)年築木造、建築...
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高田屋嘉兵衛顕彰碑

称名寺境内にある高田屋嘉兵衛顕彰碑は、高田屋嘉兵衛130回忌を記念して昭和31年に建てられたものである。 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 何れの邦土にも其の邦の風習はあるが斯様な仕事を為せる者を真の愛国者とす高田屋嘉...
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厳島神社

函館市弁天町の厳島神社(観光標識では「厳」の字は、旧字の「嚴」)は、古くは弁財天社と呼ばれ、江戸時代の早い頃から存在していたものと考えられている。 亀田八幡宮の神職が漁期に来て豊漁祈願したのが始まりといわれ、『津軽一統志』にも「弁才天」と記...
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函館中華山荘

函館中華山荘は、明治9年、青森県下に漂着した中国人の遺体を埋葬するため開拓使から土地を借りたことに始まり、大正8年、周りをレンガ塀で囲み、現在のような体裁となった。
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外国人墓地(ロシア人墓地)

明治3年(1870)、当時の開拓使函館支庁と在函5ヶ国領事との間で外国人墓地に関する協定が締結され、この場所がロシア人墓地として公式に認められた。この墓地で最も古い墓は、1859年6月29日(露暦)のアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ボウリケヴィチのもの。現在、ロシア軍艦の乗組員25名や白系ロシア人7名など全部で43基の墓があり、その中には、初代領事ゴシケーヴィチ夫人や領事館付属聖堂の読経者で、のちに魯学校の教師として活躍した ヴィサリオン・サルトフの墓も含まれている。
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南部藩士の墓地

寛政・安政年間に蝦夷地が幕領化された際、南部藩と津軽藩が警備を命ぜられ、多くの藩士が蝦夷地に渡り、任務に当たった。この墓地は、事故や病気等で蝦夷地に倒れた南部藩士を弔うもので、現在12名の藩士が祀られている。
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シャルトル聖パウロ修道女会墓地

函館市船見町の地蔵寺墓地に隣接するシャルトル聖パウロ修道女会墓地に、全国白百合学園発祥の函館白百合学園創設者であり函館における社会福祉事業の先駆けとなったスール・マリ・ネオジムが眠っている。
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函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡

明治18年、内務省は防疫体制強化のため函館ほか主要5港に日本最初の常設消毒所を建設した。函館市船見町に残るこの建物は当該消毒所の事務所として使用されたもので、現在は改装され、夕景と日本茶を楽しめるカフェ「ティーショップ夕日」となっている。なお、隔離室として用いられた建物は、函館市昭和の永全寺に同寺納骨堂として移転されている。
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