資料集入間田宣夫・小林真人・斉藤利男編『北の内海世界―北奥羽・蝦夷ヶ島と地域諸集団―』 入間田宣夫・小林真人・斉藤利男編『北の内海世界―北奥羽・蝦夷ヶ島と地域諸集団―』山川出版社,1999年。津軽海峡が、明治以来"しょっぱい川"といわれたことに象徴されるような、人びとの行き来を妨げる障害ではなく、むしろ「海の道」を通じて、南北...2023.06.032023.06.13資料集
資料集北海道新聞社編『四季のトラピスト』 北海道新聞社編『四季のトラピスト』北海道新聞社,1998年。 北海道新聞夕刊の全道版で1997年2月からほぼ1年にわたって「四季のトラピスト」を連載した。渡島管内上磯町のトラピスト修道院を報道機関が取材するのは、初めてのことであり、読者の反...2023.06.122023.06.13資料集
函館市旧ロシア領事館 安政元年(1854年)12月の日露通好条約に基づき、安政5年(1858年)9月初代領事ゴシケーヴィチ一行が着任、実行寺に領事館を置いた。万延元年(1860年)、元町の現ハリストス正教会地内に領事館を建てたが、隣の英国領事館の火災で被災した。2023.05.06函館市
函館市山上大神宮 山上大神宮は、社伝によると今から600年ほど前の応安年間(室町初期)、藤坊という修験者がこの地に渡来し、亀田赤井川村神明山に草庵を結び、伊勢神宮の御霊をいただいたのが始まりと伝えられる。2023.05.01函館市
函館市操車塔 このキノコのような建物は操車塔といい、昭和14年(1939)に交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作をするために建てられたもので、現存する路面電車の操車塔では国内最古といわれております。この操車塔は、高さ5.4m、制御室直径1.9mあります。 昭和44年(1969)当時には市内に6基ありましたが、施設の自動化などにより順次姿を消し、この操車塔だけが、平成7年(1995)6月まで電車信号機の制御装置が置かれ、使用されておりました。 当時交差点向側に建てられておりましたが、道路改良にともない平成7年9月、現在地に移設し、形態保存しております。2023.04.16函館市
函館市湯倉神社 湯の川温泉の起源は古く、「元和3年(1617年)より湯座あり、薬師仏を祀っていた……」という言い伝えが残る。承応2年(1653年)松前藩主・氏広の子、千勝丸(のちの9代藩主・高広)が不治の病にかかり、母の清涼院がこの温泉で湯治させ、全快したという。喜んだ清涼院は、翌年、薬師仏を祀る社殿を改造したとされる。2023.03.212023.04.16函館市
函館市旧イギリス領事館(開港記念館) 箱館にイギリス領事館が置かれたのは、安政6年(1859年)日本最初の貿易港として開港した時のことで、箱館ではアメリカ、ロシアに次いで3番目の領事館として、初代領事ホジソンが称名寺に開設した。文久3年(1863年)に現在の元町のハリストス正教会の西隣に領事館を新築したが、数度の火災にあった。 この建物は、イギリス政府工務省上海工事局の設計により、大正2年(1913年)に竣工したものであり、昭和9年(1934年)の閉鎖まで領事館として使用されていた。2023.04.012023.04.16函館市
資料集道南の図書館 渡島・檜山管内の主な図書館リスト。公立図書館・図書室はもちろんだが、大学図書館も一般利用が可能。※大学図書館は、現在、新型コロナウイルス感染症対策のため学外利用者を制限しているところが多いため、利用に当たっては事前に各サイトを確認する必要が...2023.01.092023.04.12資料集
函館市函館八幡宮 「社伝」によれば、文安2年(1445年)、河野政通公が蝦夷地に渡来し、現在の元町公園辺りに館を築いた時、その東南のすみに八幡神を鎮祭したのが始まりといわれる。2023.02.12函館市
函館市碧血碑 箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地、箱館での旧幕府脱走軍戦死者の霊を祀っているのが、この碧血碑である。碑石は、7回忌にあたる明治8年(1875年)、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、碑の題字は、戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。 碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは、旧幕府脱走軍の霊を公 然と祀るには支障があったことが推測される。 なお、 碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。2023.01.31函館市