八郎沼

八郎沼 北斗市

北斗市向野の八郎沼公園は、明治13年に山田致人が乳牛の飲み水用に池を掘ったのが始まりで、その後中村長八郎が養鯉場として修築し現在に至る。八郎沼の八郎は、中村長八郎の名に因むものである。

中村長八郎について、『新大野町史』では、次のように記載されている。

慶応3(1867)年生まれ。明治37年、38歳のときに道議会議員に当選。大野出身で最初の道議会議員となる。昭和6年没。

大野町史編さん委員会編『新大野町史』、北斗市、2006年、pp.1096-1097
八郎沼
撮影:2020年5月31日

現地に設置されている大野町教育委員会・大野町観光協会(当時。現、北斗市)による説明板。

八郎沼
撮影:2020年6月6日

   八郎沼公園の由来
八郎沼のおこりは、明治13年の頃 山田致人(現愛媛県生)が、隣接向野の観音山附近で乳牛5頭を飼育したことに始まるといわれ、致人は牛に水を飲ませるためにこの地に池を掘り水を貯わえたものであったが、その後中村長八郎が、水田のかんがいの用水源確保と養鯉場として修築したものが今日の沼の原形となり地元村民は名付けて「八郎沼」と称した。又、公園は昭和50年から大野町が構想を樹て総合公園をめざして各種施設を整備し、今では町の内外から親しまれ憩の場として利用度が高まっている。

大野町教育委員会・大野町観光協会
八郎沼
撮影:2020年6月6日

   八郎沼公園
 八郎沼の起こりは、明治13年山田致人「弘化3年伊予国(現愛媛県)生まれ」が向野の観音山で酪農を始めたことにある。乳牛頭数5頭、うち4頭は雌であったという。致人が牛に水を飲ませるために池を掘って水を貯えたもので、それが水田の用水ともなった。後年、中村長八郎氏が修築し、養鯉場や水田かんがい用のために造ったのがこの沼であり、長八郎氏の名前にちなんで「八郎沼」と名付けられたといわれている。昭和50年頃から町が公園用地として総合公園をめざして整備に着手し、現在では「八郎沼公園」として、近郊の市町村や多くの町民に広く親しまれ、憩いの場に利用されている。

大野町教育委員会(平成2年6月)

参考

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