天下の号外屋翁の墓

天下の号外屋翁の墓 函館市
撮影:2021年9月15日

船見町の墓地でも一際目を引く赤い墓は「赤墓」と呼ばれ広く知られているが、赤墓に眠る信濃助治という人物について詳しいことはわかっていない。函館市の説明板によれば、全身に赤色のものを纏う変わり者だったようである。

天下の号外屋翁の墓
撮影:2021年9月15日
天下の号外屋翁の墓
撮影:2021年9月15日

   天下の号外屋翁の墓
 信濃助治は、明治27年(1894年)6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。
 同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまいて”天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」 と呼ばれていた。
 「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。
 日清戦争終結後は、戦勝記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人だったので、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されている。

函館市

   The Grave of a Newspaper Distributor
In June 1894 Shinano Sukeji came to Hakodate, dressed in red from hat to tabi (socks).
One day in November that year, during the Sino-Japanese War (1894-5), Shinano distributed Hokkai Newspaper’s extra edition news to citizens on the street and thus made a name for himself as an extra edition newspaper distributor. Eventually, he was called “Akafuku” , or “Mr. Red Clothes.” The reason he dressed in red was because in Bushido, the spirit of samurai, the word “Sekishin,” or “red heart” represented sincerity.
After the war ended, Shinano made great efforts to visit well known generals and admirals in every corner of the country to ask for their writings and signatures in celebration of Japan’s victory. He became well known for his eccentric habits, and the local newspaper introduced him as a man of unusual character.

CITY OF HAKODATE

墓碑の裏面には、次のように刻まれている。

大正元年八月建之
先祖 信濃忠左衛門
 七代目 信濃助治
  昭和四年六月五日午前五時没 行年六十八
 妻 信濃シゲ
  明治三十九年五月廿三日没 行年三十九

コメント

タイトルとURLをコピーしました