安政元年3月の日米和親条約を締結により下田箱館の2港が開港されることとなり、箱館奉行所は、蝦夷地警備及び外国船舶との交渉上、奉行所所属の船舶が必要であるため、箱館での造船を幕府に申請し、許可された。許可を受け、箱館奉行所は、船大工續豊治に造船の命令を下し、安政4年11月完成、船名を「箱館丸」としたものである。
現在、展示されている箱館丸は、昭和63年に開催された青函博で展示用に復元されたもの。
洋式帆船「箱館丸」
續一郎・弘前市立弘前図書館・市立函館図書館資料提供
幕府は、安政元年3月、日米和親条約を締結、下田箱館の2港が開港されることとなった。
箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に伴う外国船舶との交渉上、奉行所所属の船舶が必要となり、箱館で造ることを申請し許可されたため船大工續豊治に造船の命令をくだし、安政4年11月完成、船名を「箱館丸」とした。
日本造船界に偉大なる貢献をもたらしたこの「箱館丸」は、日本人の創造設計による日本で最初に造られた洋式帆船であり箱館(函館)の人により箱館(函館)で造られたことに意義深いものがある。
現在、展示されている箱館丸は、昭和63年に開催された青函博で展示用に復元されたものである。
寄贈者
昭和63年11月19日
三笠市 続 博
(設計建造者 続 豊治 六代目)
函館市 加藤 曻
(函館市功労者)
この箱館丸は青函トンネル開通記念博覧会(昭和63年7月9日~9月18日)に復元展示されたものを上記の方のご厚意により市に寄贈されたものです。
コメント