函館市

実行寺

実行寺は、明暦元年(1655年)、山ノ上町(現弥生町)で清寛という僧が草庵を結んだのが始まりといわれ、元禄3年(1690年) 松前の日蓮宗法華寺の末寺となったが、実行寺と称するようになったのはいつ頃からか明らかではない。(明治17年山梨県身延山久遠寺の末寺に編入。)
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魚見坂

函館で一番西にある坂で、坂の上から湾岸に押し寄せてくる魚群の発見に便利なところだったのでこの名が付いたといわれている。この坂の上の方は昭和40年まで台町という町名だったので、最近まで「台町の坂」とも呼ばれていた。
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土方・河野供養碑、高田屋一族の墓

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   河野加賀守政通公の供養碑河野政通公は享徳三年(一四五四)南部大畑より渡来し、現在の函館病院附近に館を築き函館一帯の地を治めた。後、アイヌ等と和人の間に争を生...
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称名寺

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   称名寺 称名寺は、正保元年...
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高田屋嘉兵衛顕彰碑

称名寺境内にある高田屋嘉兵衛顕彰碑は、高田屋嘉兵衛130回忌を記念して昭和31年に建てられたものである。撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日何れの邦土にも其の邦の風習はあるが斯様な仕事を為せる者を真...
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北海道警察官派出所発祥の地

明治5年6月開拓使函館支庁羅卒分営を西浜町(現在地)と地蔵町の2箇所に設置し北海道警察官派出所発祥の地となる。邏卒の屯所として「富岡町15番地の真宗能量寺堂宇内に本営を仮設」、「第1大区の屯所という位置付けとなり、これ以外に西浜町海岸(38番地の4)と地蔵町地蔵堂に分営が設けられ、それぞれ第2大区の屯所、第3大区の屯所(明治6年3月22日の火事で類焼、蓬莱町1番地に仮屯所設置)となった」とのこと。(『函館市史 通説編2』)
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傷心惨目の碑

明治2年(1869年)5月11日、箱館戦争最大の激戦が箱館の市街地で行われた。当時の高龍寺は、もっと坂の下にあり旧幕府脱走軍の箱館病院分院にあてられたが、同日、新政府軍の先鋒隊が乱入し、傷病兵らを殺傷して寺に放火し、会津遊撃隊の者が多数犠牲となったという。明治12年(1879年)高龍寺は移転、翌13年(1880年)に旧会津藩有志がこの碑を建て、斬殺された藩士を供養した。碑面「傷心惨目」は、中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。
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函館港改良工事記念碑

撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日   函館港改良工事記念碑 函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。 ...
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厳島神社

撮影:2021年9月24日函館市弁天町の厳島神社(観光標識では「厳」の字は、旧字の「嚴」)は、古くは弁財天社と呼ばれ、江戸時代の早い頃から存在していたものと考えられている。亀田八幡宮の神職が漁期に来て豊漁祈願したのが始まりといわれ、『津軽一...
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高龍寺

函館市内最古の寺院、高龍寺。もとは、現在の万代町付近にあったが、宝永3年に現在の入舟町に移転。現在地へは明治12年に移転した。本堂の完成は明治33年、山門の完成は明治43年。明治末期の貴重な木造寺院として、平成23年に国の有形文化財に登録さ...
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