函館市

傷心惨目の碑

明治2年(1869年)5月11日、箱館戦争最大の激戦が箱館の市街地で行われた。当時の高龍寺は、もっと坂の下にあり旧幕府脱走軍の箱館病院分院にあてられたが、同日、新政府軍の先鋒隊が乱入し、傷病兵らを殺傷して寺に放火し、会津遊撃隊の者が多数犠牲となったという。 明治12年(1879年)高龍寺は移転、翌13年(1880年)に旧会津藩有志がこの碑を建て、斬殺された藩士を供養した。 碑面「傷心惨目」は、中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。
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船見坂

港に出入りする船舶がよく見えることから、明治6年(1873年)坂上を船見町と名付け、その町に通じる坂なので「船見坂」と呼んだ。また、称名寺の下の坂なので「称名寺坂」とも呼ばれた。 戦後、上が校地となり坂は途中までとなった。
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鯨族供養塔

函館は、幕末から捕鯨との縁は深く、安政4年(1857年)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を箱館に派遣して捕鯨の指導をさせたり、また、ドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡がある。この供養塔は、昭和32年(1957年)9月に遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手の「天野太輔」が、それまでに捕獲した多くの鯨を供養するために建てたもので、上部には背美鯨の模型が据えられているほか、裏面には鯨の説明が詳細に刻まれている。天野翁83歳の時のことである。また、碑文には「明 治四十年以来捕鯨ニ従事セシコト二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間二於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ…」と刻まれ、大洋漁業、日本水産ほかの捕鯨会社が賛助員として名を連ねている。
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高龍寺

函館市内最古の寺院、高龍寺。もとは、現在の万代町付近にあったが、宝永3年に現在の入舟町に移転。現在地へは明治12年に移転した。本堂の完成は明治33年、山門の完成は明治43年。 明治末期の貴重な木造寺院として、平成23年に国の有形文化...
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千歳坂

撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日    千歳坂 明治12年(1879年)の大火以後にできた坂で、昔、坂の東側に神社があり、ここに松の木が...
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土方・河野供養碑、高田屋一族の墓

撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日    河野加賀守政通公の供養碑河野政通公は享徳三年(一四五四)南部大畑より渡来し、現在の函館病院附近に館を築き函館一帯の地を治めた。後、アイヌ等と和人の間に争を生じ館は陥...
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称名寺

撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日 ...
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函館港改良工事記念碑

撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日    函館港改良工事記念碑 函館港の改良を多年にわたり計画していた函館区は、明治28年改良工事の実施を決定し、翌29年6月工事に着手し、同33年9月に完成した。 改良工事...
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真言寺と不動明王立像

撮影:2021年9月24日 撮影:2021年9月24日    真言寺と不動明王立像 真言寺は、文久年間(1861年~1864年)、僧 寛純により創立されたといわれる。 この寺の主仏である不動明王は日常開帳されていない。 高さ3...
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外国人墓地(プロテスタント墓地)

地蔵寺の向かいにあるプロテスタント墓地。ペリー艦隊の水兵や日本人キリスト教徒も眠っている。
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