函館市 ペリー会見所跡 安政元年(1854年)3月、アメリカ海軍提督M.C.ペリーは、幕府との間に日米和親条約を締結し、その直後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港した。ペリーは、この地にあった有力商人山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老・松前勘解由らと会見し、市中の調査や、港内測量などを行って箱館を去った。 2022.06.21 2024.11.17 函館市
函館市 大正湯 函館市弥生町の大正湯。創業は大正3年で、現在の建物は昭和2年に建て替えられたものだが、脱衣所は建築当時のままとのこと。函館市景観形成指定建築物となっている。撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:... 2022.06.12 2024.11.17 函館市
資料集 松前景広・市立函館図書館編『新羅之記録』,市立函館図書館,1937 新羅之記録国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている『新羅之記録』(書誌情報は、以下のとおり。)のテキスト化した。松前景広・市立函館図書館編『新羅之記録』,市立函館図書館,1937『新羅之記録』の作者は松前藩第一代藩主松前慶廣の六男... 2022.05.28 2024.11.17 資料集
資料集 鈴木周作抄訳『ペルリ提督日本遠征記』,大同館,1912年(抄) 鈴木周作抄訳『ペルリ提督日本遠征記』,大同館,1912年(抄)国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている『ペルリ提督日本遠征記』(鈴木周作抄訳,大同館,1912年)のうち、「第8編 函館の巻」について以下のとおり紹介する。なお、本書... 2022.05.03 2024.11.17 資料集
函館市 遺愛学院(旧遺愛女学校)旧宣教師館 撮影:2022年4月2日遺愛学院旧宣教師館、通称ホワイトハウスは、明治41(1908)年、アメリカから来た教師の住まいとして建築家ガーティナー((ジェームズ・ガーディナー(1857~1925)。立教大学校(現・立教大)校長を務めたほか、建築... 2022.04.26 2024.11.17 函館市
函館市 船見坂 港に出入りする船舶がよく見えることから、明治6年(1873年)坂上を船見町と名付け、その町に通じる坂なので「船見坂」と呼んだ。また、称名寺の下の坂なので「称名寺坂」とも呼ばれた。戦後、上が校地となり坂は途中までとなった。 2022.03.05 2024.11.17 函館市
函館市 弁天岬台場跡 西洋列強からの圧力が増してきた江戸末期に、幕府は蝦夷地を2度目の直轄領とした。安政元年(1854年)、箱館奉行竹内下野守と堀織部正は、箱館の警備について幕府へ上申し、弁天岬台場を築造することになった。台場は、安政3年(1856年)、10万両の予算で、現在の函館どつくの一角に着工された。設計・監督は五稜郭と同じ武田斐三郎によるもので、不等辺六角形(周囲約684m、面積約32,340m2)をした台場は、元治元年(1864年)に完成した。 2022.02.05 2024.11.17 函館市
函館市 東本願寺函館別院船見支院 船見支院は、日本最初の鉄筋コンクリート寺院として名高い元町の東本願寺函館別院の墓地を管理するため、明治37年 (1904年)に建てられたもので、現在の建物は大正15年(1926年)に完成した。 2022.02.12 2024.11.17 函館市
函館市 鯨族供養塔 函館は、幕末から捕鯨との縁は深く、安政4年(1857年)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を箱館に派遣して捕鯨の指導をさせたり、また、ドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡がある。この供養塔は、昭和32年(1957年)9月に遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手の「天野太輔」が、それまでに捕獲した多くの鯨を供養するために建てたもので、上部には背美鯨の模型が据えられているほか、裏面には鯨の説明が詳細に刻まれている。天野翁83歳の時のことである。また、碑文には「明 治四十年以来捕鯨ニ従事セシコト二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間二於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ…」と刻まれ、大洋漁業、日本水産ほかの捕鯨会社が賛助員として名を連ねている。 2022.02.26 2024.11.17 函館市
函館市 千歳坂 撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日撮影:2021年9月24日 千歳坂 明治12年(1879年)の大火以後にできた坂で、昔、坂の東側に神社があり、ここに松の木があったの... 2022.02.19 2024.11.17 函館市