亀田八幡宮例大祭

15年ぶりの亀田八幡宮例大祭。まだ明るいうちから。函館に来て、最も祭らしい祭だと感じています(函館八幡宮のお祭りは行ったことがないのですが。)。

亀田八幡宮、旧社殿は函館最古の建物だったはず。人が多く写真は撮らず。

亀田八幡宮例大祭

亀田八幡宮例大祭


洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

洋式帆船「箱館丸」

  • 2018年6月30日撮影。

説明板

洋式帆船「箱館丸」

日本最初の洋式帆船「箱館丸」
幕府は、安政元年3月、日米和親条約を締結、下田箱館の2港が開港されることとなった。
箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に伴う外国船舶との交渉上、奉行所所属の船舶が必要となり、箱館で造ることを申請し許可されたため船大工續豊治に造船の命令をくだし、安政4年11月完成、船名を「箱館丸」とした。
日本造船界に偉大なる貢献をもたらしたこの「箱館丸」は、日本人の創造設計による日本で最初に造られた洋式帆船であり箱館(函館)の人により箱館(函館)で造られたことに意義深いものがある。
續一郎・弘前市立弘前図書館・市立函館図書館資料提供

寄贈者

洋式帆船「箱館丸」

寄贈者
三笠市 続 博(設計建造者 続 豊治 六代目)
函館市 加藤 曻(函館市功労者)
この箱館丸は青函トンネル開通記念博覧会(昭和63年7月9日〜9月18日)に復元展示されたものを上記の方のご厚意により市に寄贈されたものです。
昭和63年11月19日

日本最初の洋式帆船か

Wikipediaを見ると、江戸幕府建造の「鳳凰丸」の竣工が1854年6月6日であり、箱館丸に3年ほど先行していたものと思われる。

「箱館丸」は日本初の洋式船と説明されることがあるが、君沢形や「鳳凰丸」のほうが先行しており、事実ではない。

「箱館丸」の設計は、ロシア人の指導に基づく君沢形とは異なり、外国人の直接の協力を得ないで行われた。続豊治による外国船調査のデータのほか、箱館の商人である渋田利右衛門所蔵の洋書も参考にされたという。なお、日本人による洋式船の独自設計という点でも初めてではなく、「鳳凰丸」などの先行例がある。

上記については、平山次清氏の論文中でも、以下のように述べられている。

伊豆の戸田にて建造された戸田号(君沢型)は、「ロシア人の設計・建造指導によるは国産洋式帆船」の濫觴、浦賀で建造された鳳凰丸は「純国産の洋式帆船軍艦の濫觴」、といった評価になると思われる。

場所

その他


北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

「北海道知事  田中敏文書」とあり。

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑

  • 2018/6/6 撮影。

碑銘

北海道水田発祥の地碑

水田発祥由来
亀田郡大野村字文月押上のこの地に元禄五年農民作右エ門なる者南部の野田村から移つて人々の定着は米にあるとして地を拓し自然水により四百五十坪を開田し産米十俵を収穫した爾来消長あつたが後「御上田」と称して現在に及んでいる 先人未踏の北辺に今日道産米三百万石の基礎はかうして発祥したものである
渡島支庁長 岡武夫書
昭和二十四年八月建之

北斗市教育委員会の説明板

北海道水田発祥の地碑

北海道水田発祥の地碑
蝦夷地の米作りには、寛文年間(1661〜72)、貞享2年(1685)、元禄5年(1692)の記録がある。水田発祥の地碑は、元禄5年の「松前志」の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949)に建てられた。
碑文には「押上(文月村)のこの地に元禄五年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、四百五十坪(約15アール)を開田し、道米十俵(現在の二俵程度)を収穫した」と記されている。現在の道産米の基礎はこうして発祥した。
作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年(1805)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。
嘉永3年(1850)、大野村の高田松五郎・万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年(1854)以降、米作りはようやく安定した。明治6年(1873)になって、島松(現北広島市)の中山久蔵がこの地の品種「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会

『松前志』

北海道大学北方資料室蔵帝国図書館所蔵本写

松前志

東京国立博物館蔵

松前志

北大蔵の写本よりもこちらの方が読みやすい。北斗市教育委員会の説明板に「「松前志」の記録」とあるのは『松前志巻之六』の冒頭に出てくる、

元禄五年東部亀田ニテ作左衛門ト云モノ新田ヲ試ミケレド二三年ニシテ廃レタリ

のことと思われる。なお、碑銘、説明板で「作右衛門」と紹介されている人物は、『松前志』では(北大、東国博ともに)「作左衛門」となっていた。

上記の記載に続けて、辺幾利地(へきりち)についても言及されており、ほぼ同時期に旧上磯地区においても開田が試みられていたらしい。

同七年東部辺幾利地ニテ墾田ヲ試ミシカ實リテ新米ヲ藩主ヘ呈セシコトアリ

次いで江差についての記載があり、この時期の道南各地で稲作が試行されつつあったことがわかる。

場所

その他


小川剛生(2017)『兼好法師—徒然草に記されなかった真実』中公新書

小川剛生(2017)『兼好法師—徒然草に記されなかった真実』中公新書

吉田流卜部氏に生まれ六位蔵人から従五位下左兵衛佐に任じた、という現在定説となっている「吉田兼好」像は、偽系図・偽書に基づくファンタジーであり、史料から読み取れる兼好法師像はもっと俗っぽくて生き生きした人物である、という極めて衝撃的な内容の一冊でありながら、当時の制度や慣習を踏まえた史料解釈に基づく冷静な論の展開に、深く引き込まれます。何事も批判的な視点をもつというのは大事ですね。難しいことですが。

目次

  • はしがき
  • 第1章 兼好法師とは誰か
  • 第2章 無位無官の「四郎太郎」—鎌倉の兼好
  • 第3章 出家、土地売買、歌壇デビュー—都の兼好(1)
  • 第4章 内裏を覗く遁世者—都の兼好(2)
  • 第5章 貴顕と交わる右筆—南北朝内乱時の兼好
  • 第6章 破天荒な歌集、晩年の妄執—歌壇の兼好
  • 第7章 徒然草と「吉田兼好」
  • 参考文献
  • 年譜
  • 索引

参考


木村捷司記念室(七飯町)開設25周年

【七飯】函館出身の洋画家で、七飯にアトリエを構えて創作活動を続けた木村捷司(1905~91年)の作品を展示する「木村捷司記念室」(鳴川1)が、冬季休館を経て、今季の開館を迎えた。昨季から半分以上を入れ替え、61点の絵画を展示している。

存じ上げなかったのですが、松前神楽をテーマにした作品など、見てみたい作品があります。


PIECE OF PEACE-レゴブロックで作った世界遺産展@金森ホール

金森ホールで「PIECE OF PEACE-レゴブロックで作った世界遺産展」が開催されています。近づかないとレゴブロックだとわからないくらい精密に作られています。子供はもちろん、大人も興奮する展示でした。

レゴ

レゴ

レゴ

(中心にはライネルがいそうなコロッセウム…)

ピースは多いほうがいい。Pieces of Peace - the more, the better! レゴ(R)で作った世界遺産展 PART-3 公式サイトです。


サッポロビールの葡萄園「グランポレール北海道北斗ヴィンヤード」開園

サッポロビールが、北斗市三ツ石に大規模葡萄園「グランポレール北海道北斗ヴィンヤード(仮称)」を開園。2021年には最初の収穫を、2022年には収穫されたぶどうから醸造したワインの発売を目指している。

「グランポレール」とは「偉大なる北極星」といった意味か。「北斗」も「北極星」をあらわす場合もあるそうなので、ワインの名前ともぴったりだと思料。


高龍寺の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」を見てきました

釈迦涅槃図

夷酋列像で知られる波響の釈迦涅槃図。今年は、本日まで一般公開されており、見ることができました。年に一度、4/1〜4/15に公開されますので、関心のある方は来年の日程にご留意ください。

実物を見るのと、写真を見るのとでは受ける印象が全く異なるものです。


遺愛のクロッカスが満開でした(2018年)

遺愛のクロッカス

毎年楽しみにしている遺愛学院のクロッカス。今年も満開、綺麗に咲いてました。

しとしとと 雨しとしとと 春の雨(日野草城)

夕方から雨降りです。Wikipediaによれば、クロッカスは「開花した花に水がかかると溶けるように縮んで萎れてしまう」とあります。この雨で、かなり萎れてしまいそうです。


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