石川啄木一族の墓
明治の歌壇を飾った石川啄木と函館の縁は深い。啄木が函館に住んだのは明治40年(1907年)5月から9月までの短い期間であったが、この間の生活は苜蓿社(文芸結社)同人らの温かい友情に支えられながら、離散していた家族を呼び寄せ、明るく楽しいものであった。「死ぬときは函館で……」と言うほど函館の人と風物をこよなく愛した啄木であったが、明治45年(1912年)4月病魔におかされ、27歳の生涯を東京で閉じた。大正2年(1913年)3月啄木の遺骨は節子未亡人の希望で函館に移されたが、彼女もまた同年5月、彼の後を追うかのようにこの世を去った。